『扉をたたく人』(The Visitor)


青い空は動かない、
雲片一つあるでない。
   夏の真昼の静かには
   タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いぢらしく思はせる何かがある、
   焦げて図太い向日葵が
   田舎の駅には咲いてゐる。

   ――中原中也「夏の日の歌」(『山羊の歌』収録)より

この土日の東京は猛暑でした。今日はとりわけ空が高くて、「夏の空には何かがある」、というフレーズにぴったりな雰囲気でありました。

とはいえ、こうも暑くっては空ばかり見てもいられません。涼しいところで本を読んだり映画を見たりするのがいちばんです。そういうわけで、映画『扉をたたく人(The Visitor)』を観てきました。恵比寿ガーデンシネマでやっています。ここで放映される映画は良質のものが多く、席も前後間隔が広くてゆったりしていて綺麗だし、職場から近いためもあって私は気に入っているのです。

アメリカの孤独で気難しい初老の大学教授ウォルター(リチャード・ジェンキンス)が主人公です。ふとしたことからニューヨークで知り合った移民の青年に教えられ、彼はジャンベ(アフリカン・ドラム)を叩く楽しさを知り、ゆっくりと周囲に心を開いていきます。そこに移民問題や人種的偏見といった社会的問題を絡ませて描いた、美しさと哀しみとが入り混じったストーリー。

人間関係が希薄化し、心をかき乱すものが無数にあり、人が人を信じること、人と深く関わることが、以前よりも難しくなっている――現代はそういう時代かもしれません。ウォルターは、しかし一瞬のためらいの後で一歩を踏み出し、少しずつ変わっていきます。ためらいと含羞を乗り越えて、人に手を差し伸べる、人の支えになろうとする、そして人を救うために闘う、ウォルターのぎこちなく変わっていく姿を見ていると何度も目頭が熱くなります。

が、単なるヒューマニズムの物語ではありません。孤独だったウォルターとは形は違うものの、移民青年のタルクもまた、社会から疎外された存在として描かれています。彼らはある意味で似た者同士。そこに友情が生まれるものの、フェアでない社会が、社会の歪みが、不可避的な力として彼らを呑み込んでいきます。わき起こる怒りや哀しみの一方で、以前は「生きているフリをしていた」ウォルターの変化が物語る何かは、何なのか。ぜひ多くの人に観てみてほしいと思います。

監督はトム・マッカーシー。知らない監督でしたが(今作が長編2作目とのこと)、もともと俳優で『父親たちの星条旗』や『アリーmyラブ』に出演していたそうです。43歳、今後も良い映画を撮ってほしいと思います。とにかく、素晴らしい映画でした。