或日の大石内蔵助

芥川龍之介の書いた『或日の大石内蔵助』という小説がある。忠臣蔵の物語で知られる赤穂浪士の頭領、大石内蔵助が、他の46人の仲間とともに裁きを待つ間(細川家の屋敷に預かりの身となっていた)の、ある日の出来事を描いたものだ。いかにも芥川らしい作品で私は気に入っている。

羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇 (文春文庫―現代日本文学館)

内蔵助は数名の郎党と共に穏やかに日を過ごしている。仇討を成功させた満足感に浸っている。だがその日、早水藤左衛門から、討ち入り以後、江戸の街中で仇打ちの真似事が盛んに起こっているとの噂を聞かされる。米屋の亭主がある職人と喧嘩をして殴られた、すると米屋の丁稚が職人を待ち伏せて主人の仇と叫んで襲った。町の人々は丁稚に同情的だという。似た事件が幾つも起こっているそうな。その場の郎党たちは、堕落した世相が幾らか改まるかも知れぬ、などとして愉快そうに聞く。が、内蔵助は一人沈鬱な面持ちを浮かべる。

次いで細川家の者たちが浪士らの忠義を褒めたたえると内蔵助は、赤穂藩にも離反した者は幾人もいる、と謙遜する。すると今度はその討ち入りの同盟から脱した者たちを不忠の輩として批判する声が起こる。あいつらは武士の風上にも置けない、人畜生である、等々。そうしてまた内蔵助は憂鬱になる。内蔵助は、それら不忠の侍たちを遺憾に思うが憎みはしない。危険な討ち入りから逃れた者たちの弱さも彼には理解しうる。だから彼らを憐れみこそすれ憎みはしない。しかし世間は彼らを裏切り者と罵倒しなければすまないらしい。「何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生としなければならないのであろう」。

・・・もう少し続くのだが、そういう内蔵助の哀情を湛えた物語だ。芥川は、忠義という一つの美徳の体現者でありつつ、そこから脱落した者への寛容を失わない人間として内蔵助を描き、翻って勝ち馬に乗る世間の正義感の裏にある醜さを抉り出した。もちろんこれは史学的検証によるものではなく、歴史を材にした現実社会の比喩である。

また、この物語は、忠義という美徳に限らずさまざまな美徳、あるいは他の諸々の価値の扱い方を示唆しているとも言える。内蔵助は美徳の保持者であり、彼に率いられた郎党たちも同様とされたが、その扱い方には違いがある。そこに未曾有の価値転換の時代にこの小説が書かれた意図もあるかもしれない。芥川は、当時の開明的な思想を身につけた人々と、それに取り残される人々との間の断絶をよく見ていた。のみならず彼自身がその断絶を内に抱えていた。それを彼ほど痛切に意識して書いた作家は稀だろう。

「何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生としなければならないのであろう」。内蔵助にまつわる一篇に限らず、芥川が生涯を通じて体現した断絶は、実際今日もさまざまな形で存在するし今後も存在するだろう。

というような懸念を示すと、競争の否定や卓越の阻害と受け取って反発するような自称エリート主義者もいるが、これほど倒錯したエリート主義もない。――といきなり書くのは先日そういう思いをしたことがあったからだ。詳細は書かないが。

内蔵助の周囲の侍たちは、美徳を保持する資格を欠いている点において彼等の罵倒した脱落者たちと同等であり、自ら美徳の側に立つため他を人畜生とした点において、勝ち馬に乗った江戸の衆人と同等である。どちらも醜い。

競争はどんどんすればいいし、できる人はどんどん進めばいい。ただ上に登る者が下を顧みなくなればどうなるかということだ。少なくとも顧みない者をエリートとは呼べない。それを彼等は単なる精神論と見るかもしれないが、精神が足りないというだけでなく、智恵や判断力が足りないからエリートとは呼べないのだ。

ついでに言えば、スポーツなどに見られるように本来、競争には美しさもあるはずだが、醜い人間のする競争はやはり醜い。また、梯子が無ければ上に登れないのと同様、梯子を外せば下に降りることもできなくなるが、人は誰もがやがて老いて地上で死ぬ。地に足のつかない人々もそれを免れることはできない。芥川はその辺のことをよく示している。