グレート・ギャッツビー

サリンジャーについて書いたのに続いて、フィッツジェラルドの名作について。これは私の最も好きな小説で、これまでに四つの翻訳で読み、大学時代にわざわざ原書まで読みました。といっても華麗なる英文を読み通すのは私にはものすごく辛かったです。よくもあんな殊勝なことをしたもんだ、どれだけ暇だったんだ、と思いますが。朗読のCDまで買って聴いた覚えもあるけどどこに行ったのか、今は手元にありません。また買ってしまうかもしれない。

それで、「読みやすい!」と評判の光文社新訳文庫で出ている『グレート・ギャッツビー』も、不可避的に読みました。読んで衝撃。ものすごく読みやすいです。この新訳文庫の趣旨に見事に合致していると思いました。以前にベテラン編集者のWさんが新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』がすごく良いと言っていたので、今度それも読んでみようと思います。

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

もっとも、個人的には野崎孝さんの訳による『グレート・ギャツビー』(新潮文庫)がいちばん好きです。これまで何度も読んでいるので慣れてしまっているためもあるでしょうが、決して安定しているとはいえない語り手ニックの心情の移り変わりを投影した、いわば緩急のある語り口が活かされているように思うから。そして文章がときどきはっとするほど美しい。新訳文庫の小川さん訳は明解でスマートで、ストーリーそのものを楽しむ上ではとても良いですが。この作品、田舎育ちのニックが都会と地方の狭間で揺れながら語っている話なので、それが滲み出ている気がする野崎さん訳が私は好き。

もちろん、この本について語るなら避けて通れない村上春樹さんの翻訳した『グレート・ギャツビー』(中央公論新社)もあります。これは、マニアにはたまらない、というか、細かい所まで親切な訳です。ただ、例の"old sport"の訳し方はじめいろんな点で、私としてはやはり野崎さん訳が一番好きです。名作短編『冬の夢』や『リッチ・ボーイ』については村上さん訳が好きですが。まあ、あくまで好みの問題。物語がすばらしいのはどれも同じです。

しかし思い返せば、これまで多くの友人に『グレート・ギャツビー』を勧めたものの、読んだ彼らから「感動した!」という熱い反応が返ってきたことはなかった。実際、私もこの本を最初に読んだ高校生の頃にはそれほど感動せず、大学に入って読み直して心酔するに至ったわけで、わかりにくいのか、一度読んだだけでは今一つ響かない作品なのかもしれません。それは物語の時代背景が一見縁遠いからとか、謎の男ギャツビーの正体がはっきり見えるまでに時間がかかるとか、いろんな要因があるかと思います。

新訳文庫の『グレート・ギャッツビー』が、そういうわかりにくさを克服しているかどうかは、すでに内容を知る私には十分に判断できませんが、従来のものより格段に「読みやすい」のは、たぶん誰にとっても同じでしょう。最初に読むならこれがいいかもしれません。古典をより身近にしたという意味で新訳の意義はとても大きいと思います。私にとっては翻訳の勉強にもなりました。

これまで『グレート・ギャツビー』は、田舎育ちの人間が故郷を離れて読むと特に味わい深い話ではないか、と私は思ってきました。物語全体が都会と地方の対比の上に語られ、それがとても重要な背景になっています。私自身そんな境遇だから語り手のニックに共感する。私は就職して東京に出てきてから、それまで以上にこの本を好きになりましたし、この本がなければ実家に帰省する際の電車から見る風景が今ほど鮮やかに見えてはいないでしょう。

ただ今では、そうした魅力は、都会育ちだろうが何だろうが、誰にとっても開かれているもの、ますます開かれていくものだと思います(でなければ、そもそもこれだけ読まれているわけがない)。多様な文化に触れる機会が増し、都会と地方どころか世界中を旅して回る人もいる現代、異なる価値観や文化の中で揺れながら人間性を見つめていくこの物語は、刊行から85年を経てなお、地理的な枠も超えて、さらに多くの読者を惹きつけていくでしょう。

加えて、この本は昨今の経済社会において、ますます輝きを増している作品ではないか、とも思います。理由は、読めばおわかりになりますよ、親友。