Twitterと人間

Twitterアメリカで盛り上がっているらしい。ウィキペディアによれば、「Twitter(ついったー)は個々のユーザーが「つぶやき」を投稿し合うことでつながるコミュニケーション・サービス」だという。私は最近知った。

「つぶやき」を投稿し合うとは何だろうと思ったが、

Twitterはブログとチャットを足して2で割ったようなシステムを持つ。 各ユーザーは自分専用のサイト(ホーム)を持ち、「What are you doing?(いまなにしてる?)」の質問に対して140文字以内でつぶやきを投稿する。つぶやき一つ一つはブログのエントリに相当し、つぶやきごとに固有のURLが割り当てられる。

ホームには自分のつぶやき以外に、あらかじめ登録した知人など他者のつぶやきもほぼリアルタイムに表示される。このつぶやきの一覧を「タイムライン」と呼ぶ。例えば「ビールが飲みたい」というつぶやきに対し、それを見て賛同した知人が応答することで、メールやIMに比べて「ゆるい」コミュニケーションが生まれる。

とのこと。「お腹が空いた」とか「恵比寿のカフェにいます」というようなのがいっぱい投稿されるらしい。それに対して「いいですね」とか、なんかいろいろと応答が返ってくるらしい。

Facebookでもこれに似た機能はあって、他人の投稿に対して「いいね!」というコメントをクリック一つで送信できるようになっている。

それで、こうしたTwitterを米国では何百万人もの人がやっているらしく、日本でも今年4月に日本語版が開設されて俄かに注目が高まっているそうだ。

こんなものの何がおもしろいのか、果たして人々はこれを飽きずに続けられるものなのか、時代遅れでテレビさえ見ない私にはよく分からないが。世の中はめまぐるしく変転している。とても興味深い。

私の直感としては、こういう「つぶやき」の交換を楽しむというのは、子供が糸電話で遊んで楽しい、とか、さらに言えば、お猿さんたちが山で鳴き声を出し合って存在を確認し合うのに似ている気がする。Twitterの「つぶやき」やFacebookで交換される「いいね!」というのは人間の「鳴き声」ではないか、と。本能に近い感覚なのかな。

資本主義への懸念が広がり、自然への回帰、エコ志向などが強まった現代、人間はお猿さんへの退化を始めたのかもしれない。今後の展開に要注目だ。