グ、ア、ム

本谷有希子の新作『グ、ア、ム』が出ていたので読みました。個人的にはいま最もおもしろい日本人作家、本谷の作品はすべて読んでいます。

グ、ア、ム

今回の『グ、ア、ム』は性格も住んでいる場所もバラバラな北陸出身の母・姉・妹の女性3人のグアム旅行(父は留守番)を題材に、家族の悲喜こもごもを描いた本谷流「ホームドラマ」。以前見た演劇「遍路」もかなりおもしろいホームドラマだったので最近このテーマが好きなのかもしれん。といってもこの人の場合、通常「ホームドラマ」というものの印象、文字通りアットホームな、ハートフルな感じ、というのはやっぱり飛び越えていて、各人の自我やどうしようもない所を交えた、壮絶な人間模様が繰り広げられます。それが、おもしろい。

わがままな姉は著者の本谷同様いわゆるロストジェネレーションで、職業はフリーターという設定で、それっぽい話題が語られる。ある意味、単純な人物設定なのですが、これは従来作にもしばしば見られるもの。そして、そういう素材を使って現代社会に対する疑問などを突きつける、とか、現代の若者の等身大の共感を誘う、とかいうような、ありがちな大仰さや単純さは本谷作品にはない。オビの裏面には以下のセリフからの引用があるのですが、

(就職に失敗したことに関して。自分は)「駄目な十年間に産まれたんじゃ。どうにもならんかった時に産まれてしまったんじゃ。なんであたしが悪い? あたしがどう頑張ればよかった? 不景気どうやって直せばよかった? 就職難どうやって乗り切ればよかった? 氷河期どうやってあっためればよかった?・・・(お前=妹は)良かったな、時代に助けられて!」

これはしかし、現代日本のロストジェネレーションの魂の叫びなどというより、やっぱりコミカルな印象をもって語られる。自分の不甲斐なさを「時代」のせいにする、というのは、――もちろん実際に時代の影響もあるだろうけれども、いざこうして兄弟げんかの中で口に出してしまうと、どうしても大仰な印象を伴ってしまう。しかも海外旅行中にそんなことを言っているのは。だから妹は「そんなことばっかり言っとるから」駄目なんだと反発し、それに対して姉は「・・・ごめん」と態度を一変する。

この姉の態度の変化も大袈裟な転換ではないし、姉の考えが根本的に変わったのかどうかもわからない(が、旅行中は楽しくふるまいはじめる)、というところに、ロスジェネと称される自分世代の自我を描くときの本谷らしさがある。強烈な自意識をもつ主人公が登場するものの、その「若者の切実な叫び」的なものに共感しつつも一歩引いた目を失わない。これは「遍路」でもそうだった。ここに、小説家(主観的な目)と劇作家(客観的な目)を兼ねる本谷特有の軽さやユーモアが入り込む余地が生まれ、どうしようもない現実との和解、というより、接し方、が生まれる。現実との接し方。一言でいえば、とても若々しいのに大人、ということかもしれない。繊細なだけ、深刻なだけ、の若手作家ではない本谷有希子は、もっと高く評価されていいはずだ、と私は思います。今ももちろん高く評価されていますが、『生きてるだけで、愛』が芥川賞に選ばれなかったのはいまだに残念です。

139回芥川賞の選考会は15日。今回は受賞すれば中国人作家として初の受賞となる楊逸(ヤンイー)氏に注目があつまっています。今回の候補作は、まだひとつも読んでいません。『文學界』とかもっと読まないとなあ、とこういうときになって思うのだが。