イランと日本

滞在最終日の昼、ベーカー街のカフェで道を眺めながら昼食をとっていると、向かいに座っていたおじさんが話しかけてきました。

「旅行? ロンドンに住んでるの?」
「いや、出張で。昨日で仕事が終わったから、今日は、休日」
「いいね。どこから来たの?」
「日本です」
言うと彼はパッと表情を明るくして「ジャパン!」と叫び、"Japan is good."と親指を立てました。
「わたしはイランから来たんだ」
そして自分の両手をぐっと握り合わせて、「昔から日本とイランは友人だ」と言ってにっこり笑う。「そうです」と私も同じ仕草をしました。

イランは日本にとって重要な原油供給国。イランは欧米とは関係が良くないけれど、日本とは以前から良好な関係が続いています。後で調べたところ、1878年に榎本武明がペルシア国王に謁見したのが両国関係の始まりだとのこと。今年2月にはラリジャニ国会議長が来日し、長崎の原爆資料館を訪問しました。

そういえば、この数日前のKivaのパーティーでイラン人の女性に会ったばかりでした。「日本人ですか?」と流暢な日本語で話しかけてきたウミさんは日本に住んでいたことがあり、京都が好きだと言っていました。

おじさんはもうずいぶん前にロンドンに移住したそうです。イラン革命で体制が変わり、欧米との関係が一気に悪化、イラン・イラク戦争で国が荒れた時代。
「あと数年すれば。イランは良くなる」
彼はコーヒーのお代わりを頼み、オムレツを食べる私に向かって話しつづけます。
「私はもともと、イスファハンに住んでいた」

イスファハン。「名前は知っています。世界史の授業で習いました」
中世ペルシアでは「イスファハンは世界の半分」と称えられたほど繁栄した街。
「ロンドンにも負けない美しい街だ」とおじさん。「イスファハンはとても広い。広くて、美しい」
「そして長い歴史がある」と言うと、彼は満足そうにうなずきました。

「昔のイランは良かった」とおじさんは言い、現体制への批判を口にしました。イラン人の名前が幾つも出てきて、よく聞き取れませんでしたが。
アフマディネジャドは嫌いだ。でも数年後には大統領が変わる。イランはきっと良くなる。そうしたら私はイスファハンに帰る」
「そうなるといいですね」
「ああ。きっと良くなる。もう少しだ。もう少し待てば、きっと良くなる」

写真は別れ際に撮ったもの。おじさんは帽子をかぶりなおし、カップを持ってポーズ。
「いつかイスファハンにも来てくれ」と言い、ふたたび「日本とイランは友人だよ」
「そう。友人です」と私も笑い、握手をして別れました。