温暖化対策の優先度

温暖化対策の話題。今年12月にコペンハーゲンで開催されるポスト京都の枠組み交渉で、日本政府が「2020年までに2005年比15%」の削減目標を発表した。環境重視のオバマになったアメリカも、これと同じくらいの目標を打ち出す見込みだという。どのくらいの意味があるのかと思うが、ロイターの以下の記述など見るとばかばかしくなる。


これらの国々(東欧諸国)では90年を基準とすると排出削減余地が大きく、EUにとって有利だ。逆に日本や米国が強調する05年を基準年とした場合、削減率は13%に止まり、日本の削減率よりも低い水準となる。どの年を基準年にしても、削減の絶対量は変わらないものの、どれだけ削減努力するのかという国際社会への「アピール度」が大きく違ってくる。コペンハーゲンでの会議では、基準年という決して本質的ではない項目も争点となる可能性がある。

もっとも、これが温暖化対策、CO2削減ムーブメントの一面の真実なのだろう。国益をかけた諍いとアピール合戦。環境規制で新興国の発展に枷を嵌めてしまえというわけで、欧州の既得権保護の戦略だったのだろうが、思惑が外れたか途上国にずいぶん押されている。

私としては、資源の節約、環境破壊や公害の防止、などは重要だと思うので環境関連の規制はすればよい、クリーンエネルギーもどんどん推進すべし、そのための途上国支援も重要だ、と思うけれども(その過程でCO2も減るのだろうが)、温暖化を防ぐためにCO2を減らそう、という主張は信用していない。週間天気予報さえあまり当たらないではないか。それにここ10年間、気温は下がっている。私は温暖化よりも資源枯渇や環境破壊や公害が心配だ。その対策の結果としてCO2は減るかもしれないが、CO2削減を目的化して排出権取引などをしたがるのは本末転倒ではないか。

少なくとも、温暖化対策よりも優先すべき問題が世界には多々あると私は思う。多大なコストを払ってCSRと称してCO2排出量をほんの少し減らす、その一方で解雇したり非正規雇用に切り替えたりする企業というのは何か歪んでいないか。貧困を放置したまま温暖化対策につぎ込む税金があるのか。雇用や教育機会の平等や人権は守らないが地球は守る、とでも言うのだろうか。では何のために地球を守るのか。途上国の貧村で、100年後に気温が数度上がる恐れと、1カ月以内にマラリアで死ぬ恐れと、どちらが喫緊の課題だろう。現在の数千数万の人を見殺しにしつつ100年後の僅かな気温上昇を防いで人は本当に喜ぶだろうか。

今年12月にポスト京都の会議が開かれるコペンハーゲンで、ちょうど5年前に開催された国際会議がある。38人の経済学者が、世界に存在するさまざまな問題について議論し、解決策(「世界の福利を増進」するための施策)とその費用対効果を踏まえて優先順位を発表した。この「コペンハーゲン・コンセンサス」で示された、諸施策の優先順位は以下のとおり。


1.HIVエイズ対策
2.微量栄養素の供給
3.貿易自由化
4.マラリア対策
5.農業新技術の開発
6.小規模な生活用水技術
7.地域が管理する給水・衛星設備
8.食糧生産における水の生産性の研究
9.新規事業開始コストの引き下げ
10.熟練労働者の移住に対する障壁の引き下げ
11.乳幼児と子供の栄養の改善
12.基本的保健サービスの拡充
13.出生時低体重の発生数の削減
14.非熟練外国人労働者の一時的雇用プログラム
15.炭素税の導入
16.京都議定書
17.バリュー・アット・リスク炭素税
ビョルン・ロンボルグ著『五〇〇億ドルでできること』(How to Spend $50 Billion to Make the World a Better Place)より

14位以下は費用対効果が「悪い」施策と結論されたものだ。気候変動に関するもの3つがワースト3位を占めた。コストに見合うだけの便益がないというのだ。これに基づけば我々の政府はまた税金の無駄遣いを、今度は地球規模で、各国協調して行おうとしていることになる。無駄の押し付け合いなのだから諍いにもなろう。各国のエゴのぶつかり合いは自然である。

すでにエネルギー効率は良い日本だ。温暖化対策はなるべく控えて、その分の資金と労力を医療支援などに回してはどうだろう。政治力はアピール合戦ではなく善いことをするために用いてもらいたい。