多様化

価値観の多様化と云う。だが本当にそうだろうか。それが近年になって多様化したのだとすれば、それ以前は多様でなかったということになるが、元来人間は個々別々である。価値観も十人十色、百人百色なのは当たり前ではないか。つまり多様に化したのではなく、もともと多様だったのではないか。化した点といえば、もともと多様だった価値観が、それに見合った多様な選択肢や表現手段を得て表に現れるようになったという、ただそれだけのことではあるまいか。

これは重要なことである。というのも、もともと多様であったととらえるのと、もともと均質であったものが最近多様化したととらえるのとでは、現前の多様性に対する接し方が違ってくるからだ。多様性を認めるべきか否か、といった問題設定は元来多様でなかったという見方を前提にしている。前提がずれているのだからこの種の論議が平行線をたどるのは無理もない。逆に、多様性を前提とした上で全体的にどう折り合いをつけていくかという視点で臨めば議論はより穏やかで建設的なものになるだろう。